最近「chatGTP」あたりが旬を醸しています。今までいろんな企業や団体が開発してきたaiが世間の注目を集める事になってきています。ネットニュースの記事でも取り上げられ、テキストを入力するとそれに返信してくれる、非常に興味をそそられる対象に成長してきました。表題はそんな今の課題を、私なりに言葉にしてみました。
半世紀以上前の映画「2001年宇宙の旅」と言う映画がありましたが、その中にも登場する「HAL9000」は、今思えばこれに近いと思われます。しかし、ご存知の方も多いと思われますが末路はあんな感じ。
私の認識では、機械学習的に膨大なテキストデータから始めて、その表現する意味を認識させることができたら、指数関数的に活用できる知識が増えてくるのも想定範囲かと思っています。ですので、一般的なユーザーに向けて公開しても大丈夫なレベルでの対話が可能になったと言うことかともいます。これから先は、画像認識などの教師あり学習も含め、人間が関与する部分も少なからずあるはずなので、チューニングの結果、関わった人間の人格、もしくはそれに替わる判断領域、「人っぽさ」が出現するのも時間の問題かなと思います。
しかしながら、忘れてはいけないのが、ややもすると「その中」に人格を求めてしまうこと。外部記憶装置が日常的になり、記憶しなければならない要件が減って助かっていますが、人として忘れてはいけない事は厳然とある、と私は考えてます。ですので、「その中」決定を求めがちになるのでは、と言う課題予想を考えると、人としてより一層に判断力を深化させる必要がある様に思えます。歴史上に刻まれていない、人がまだ見たことのない「その中」との共生を考えるに、漠然と学んで行く大事さを感じます。
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