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猫に小判:redfrog greenfrog STUDIO

更新日:5月10日


表題は、諺として、日本語の言葉から意訳した表現で、英語圏での同じ意味の諺であると思われますが、

日本には「猫に小判」という諺がある。人間に小判をあげると喜ぶが、猫に与えても喜ばない。喜ぶ理由がないからだ。諺の意味は、価値が分からないものに高価なものを与えても無駄であることのたとえ。言葉の中に出てくる通り、これは、猫と人間の対比だが、小判が違うものに変わると、人間同士でも喜ぶ御仁と喜ばざる御仁がおられるはず。


当方の例えで申し訳ないが、昔々、ピアノを弾きたいと思っていた。残念ながら願いはまだ叶っていないが、今でも電子ピアノが家にはある。海外の有名なミュージシャンが作曲過程を解説したビデオを発売した。ビデオなので2000年以前だったように思いますが、早速喜んで、家でそのビデオを見ながら練習を始めてみた。初めは簡単なフレーズの簡単な背景と歴史を話してくれたが、その後鍵盤が映し出されて、実際に弾いている映像になった。ビデオを見て、数分練習すれば自分でも演奏可能なくらいのフレーズ。しかし、不思議な感じがしたのが、同じ楽器、ピアノであるとは思えないのだ。違う楽器のようであった。


これまさに、猫に小判であろう。私にはどうもうまく扱えないが、上手い人の手にかかると別の楽器のように素晴らしい音を奏でるのだ。この手の経験は、私だけではないはずであろう。

これ、AIにもあてはまりそうで、そもそもAIが作られた過程、手法など開発され、辿った経緯、歴史などを考えると、上手に扱える情報と、うまく扱えない情報があって、その辺を理解した上で、適切な使用方法において絶大な威力を発揮するようである。だから、AIは「小判」と言えるのではなかろうか。



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