現代産業装飾芸術国際博覧会って:redfrog greenfrog STUDIO
- redfroggreenfrog
- 3月30日
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最近読んだ本で、古い万博に関するテキストがありました。1925年にパリ万博「現代産業装飾芸術国際博覧会」に関するもの。現代の感覚とは異なり、当時の「国際博覧会」は一般の人々が楽しめるようなレンジの広いも催し物ではなく、国威発揚型で、海外諸国に対して自国産業の商業プロモーションの傾向が強く、当時の日本も美術工芸品の輸出促進を願い、関東大震災直後ではあったそうですが、アジアからの唯一の出典となったそうです。招待されていた、中国は内政事情のため、そしてアメリカは、「現代産業装飾芸術国際博覧会」にふさわしいものを出展できないとの業界の声により、両国とも辞退されたようでした。

この時の日本の展示場所は、辞退したアメリカに用意されていた一等地を使うことができたそうで、場所は良かったようですが、来館者の評判は高くなく、当時、国際審査員として博覧会に招待された「津田信夫」は日本の展示作品、展示方針を大いに批判したそうです。というのも、当時の庶民の大衆芸術などがアール・デコに大きな影響を与えた一方で、出品された作品は、日本古来の価値観における精緻で緻密なものであったようで、今風に言えば「目新しさに」かけたのではと思われます。また、展示においても、他国に比べ展示過多、雑多で漫然とした展示、という傾向は現代にも受け継がれているようですが。

ここまで考えてみると、万博というイベントにワクワクするのは、私が関係者だからだけではなく、歴史を紐解くと、各国が渾身を込めて、人と金を投入して出展してなお、評判、評価が伴わないことがあるせいかもしれません。また、それ自体が多様性であるかもしれませんが。
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