コラム:交わらなかった舞台から、語り合う未来へ ― 万博に映るアメリカとフランスの100年:redfrog greenfrog STUDIO
- redfroggreenfrog
- 7月11日
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1925年のパリ万博。そして、100年後の2025年、大阪・関西万博。これを当時の二つの国のEXPOに対する取り組みが興味深い。フランスと、アメリカ。少々ロマンチストな文章を好むAIの助けを借りて、コラムをまとめてみた。
1925年、パリ。
セーヌ川のほとりに、美と技術が交差する華やかな舞台が出現した。正式名称「現代産業装飾芸術国際博覧会」、のちに“アール・デコ博”と呼ばれるこの万博は、フランスが世界に向けて放った、文化的なメッセージだった。
繊細な装飾、幾何学的な構成、素材と職人技の融合――。それは芸術と産業が手を取り合い、新しい時代の美を定義しようとする試みだった。パリはこのとき、自らを“様式ある近代”の首都として演出していた。
しかし、その舞台にひとつの大国の姿はなかった。アメリカ合衆国はこの万博に参加していない。
背景にはいくつかの要因があったとされている。装飾芸術に対する価値観の違い、内政や経済的事情、そして当時の国際関係。なかでも、1920年代のアメリカは高い関税政策をとっており、文化交流においても、少し距離を置いた姿勢を見せていた。
それは決して拒絶ではなく、“自国の歩幅で世界と向き合う”という慎重な選択だったのかもしれない。アメリカはこの時期、フォード式生産を背景に内需を重視し、機能性と合理性に価値を置いていた。華やかな装飾よりも、シンプルで力強い造形美が、時代の言葉として響いていたのだ。
万博というのは、国が自らを語る舞台であると同時に、他国と静かに対話する場所でもある。
そして、その「対話の沈黙」から、100年の時を経て、アメリカは再びこの舞台に戻ってくる。
2025年、大阪・関西万博。
アメリカは自国の技術や文化を包み込んだパビリオンで、人々に語りかける準備を進めている。AIや医療、気候変動対策といった先進的なテーマに加え、移民の多様な声や共生のストーリーが空間を彩る。そこには、かつての“産業”ではなく、“物語”を届ける姿勢がある。
これは、かつて壁の向こうで静かにしていた国が、今、共感という通貨で文化を交換しようとする姿ともいえるだろう。100年前の“関税”が象徴していた内向きの構えは、今や「共有する知恵」「つながる感情」へと形を変えた。
一方のフランスも、変わらず独自の美意識を磨き続けている。アール・デコに象徴されるような装飾の時代を経て、今は「詩的なテクノロジー」や「持続可能なデザイン」といった、静かな表現で存在感を放っている。その展示は、かつてのように競うのではなく、“ともにある”ことの美しさを伝えようとしている。
アメリカとフランス。
かつては同じ万博の場に立たなかった両国が、今ではそれぞれの方法で、未来に向けたビジョンを丁寧に語っている。
かつて交わらなかった舞台に、いま、二つの声が響く。
それは競争ではなく、共振である。
国家の語り方が変わったというよりも、世界との関わり方が優しくなったのかもしれない。
1925年、アメリカは沈黙を選んだ。
2025年、その沈黙は語りへと変わる。
そしてフランスは、語りを歌へと変えて、そっと世界に差し出す。
万博は、国の姿を写す鏡である。
だがそれは、互いの違いを映し合う鏡でもある。
そこにあるのは、ひとつの正解ではなく、多様な“まなざし”の交差だ。
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